系 譜
GENEALOG
300年ほど前から15、6代続く磯部ろうそく店
磯部ろうそく店のある場所は、岡崎城信濃門出てすぐ、外堀に沿って足助街道に続く場所にあり、江戸時代から、通称「堀端の三角屋敷のろうそく屋」と言われてきたそうです。
現存する文献によりますと、15、6代続いているものと思いますが、名前が判っているのが遡って9代となっています。
磯部ろうそく店のある場所は、岡崎城信濃門出てすぐ、外堀に沿って足助街道に続く場所にあり、江戸時代から、通称「堀端の三角屋敷のろうそく屋」と言われてきたそうです。
現存する文献によりますと、15、6代続いているものと思いますが、名前が判っているのが遡って9代となっています。
戦時中、阿知波に道具を全部持って疎開していた。店は戦災で焼けてしまったが、道具は無事であったため、戦後すぐから、その道具をもって帰って仕事が出来るようになった。
19歳のころから、ろうそく作りひとすじ。59歳の時に心筋梗塞で倒れ、その後も闘病生活は続いたが、リハビリをしながら、亡くなるまでろうそく作りをしていた。
1997年には福岡県久留米市の外郭団体「財団法人 久留米市総合管理公社」の依頼を受け日本一の和ろうそく造りに着手。「自重で潰れてしまうから絶対に無理」と専門家から言われたが、約4ヶ月かけ、全高/1,050㎜ 、直径/約530㎜(最大)、重量/100㎏ 、容積/1匁ろうそくで26,600本分、という日本一大きな和ろうそくを完成させた。